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2012年6月

2012年6月26日 (火)

アシュラム・ノヴァから

Sirokujaku 

池上研究所の東京での活動はずっと昔、25年以上前から東京新宿の

都庁の真ん前のビルにあるアシュラム・ノヴァだ。父が50代で若かった頃

毎週水曜日の午後バイクで出発。まだ高速道路が松本まで延びてい

なかったころは諏訪よりずっと向こうまで一般道を走り、4時間ぐらいだった。

けっして広いところではないが、信じられないほどの人が出入りしている

やすらぎのスペースだ。いろいろな変遷を経て、三軸修正法も

進化しながら、しかしずっと一つを訴え続けている。三軸修正法修正法は

「やりかた」ではなく、「コンセプト」です。と頑固に最初からの思想を

貫いてアシュラムでは教室が運営されている。実は先生は雇われ講師

なのですよ。先週末に顔を出したら小さなビンに「さかさクラゲ」がいた。

アシュラム・ノヴァとは、「精神的な修行をする場所」というより、もうちょっと

やさしく、「雨宿りの場所」がふさわしいように思う。

アシュラム・ノヴァの集中講習会も30回以上を数える。来月14日から16日

、新宿のニューシティーホテルで開催される。今回もかなり遠くの方、

塾の先生もお見えになるらしい。それはそうだ。施術時間もいらない

し、基本的にベッドも必要ない。体に触る必要も本当は無い。だから

どんな職種の方でも不調を訴える人を楽にしてあげられる可能性が

生まれるのだ。企業の営業の方でも取引先の相手の肩こりや腰痛が

改善されてしまったらどうだろう。そんな取引以上に幸せな関係は

無いのではないか。

昨日、そのアシュラム・ノヴァのメンバーからすてきなご夫婦が松本に

遊びに来てくれた。研究所から10分ほどでゆける、無料の公園としては

日本最大級の「アルプス公園」にお連れしたのです。

楽しんでもらえただろうか。さわやかで、最高の眺めですよ。

白いクジャクもいますよ!

2012年6月17日 (日)

世界遺産 と ああ野麦峠

Yane3

世界遺産、白川郷のわらぶき屋根を見に行った。観光バスがどしどし

押しかけ、日本人に混じって中国や韓国の客人もかなり多いようだ。

妻の先祖が高山の出なのでいろいろ話を聞いているが、白川郷など

高山ですら女子が生まれると口減らしが必要だったのだから貧しさは

如何ばかりか、「ああ野麦峠」の映画を知っている人は今少ない。

自分自身、野麦峠に車で行ったこともなかった。有名な野麦峠の

石碑に刻んである内容と、つい1時間前に見てきた賑わいの対比が

非常にこころに残った一日だった。

Sekihi

「野麦峠」

日本アルプスの中に野麦峠と呼ぶ古い峠がある。かつては飛騨と信濃を

結ぶ重要な交通路であったがいまではその土地の人さえ知る人も少ない

ほど忘れ去られた道になっている。またその野麦という地名も人は野生の

麦と思うらしいが、実はそうではなくて、峠いちめんを覆っている熊笹の

ことで、正しくは”みすず”といい、十年に一度くらい大凶作を騒がれる

ような年には必ずこの笹に実がなり、村人はこの実をとって粉にしだんごを

つくって餓えをしのんだという。地元にも笹を称えた民謡、いささおどり

(いいさき)がある。峠の呼び名もおそらくそこから出たものであろう。

明治から大正にかけてその熊笹におおわれた峠を幾千万とも知れない

おびただしい飛騨の糸引きたちが列をなして超え奈川谷に下った。

若い娘たちのこととてその賑やかさはまるで五月のひばりのように

騒々しくもはなやかにも見える娘たちの行列が幾日も幾日も信州

諏訪湖畔に続いた。みんな髪は桃割れにし赤い腰巻きをつけ、ワラジ

ばきに木綿のハバキ、背中には荷物をケサがけといういでたちで

雪と氷の峠を越え、また年末には一年働いて稼いだ金を懐に吹雪の

峠路を越えていった。そのなかにはシンコといってまだあどけない

十歳から十二歳の子供もたくさんまじっていた。現金収入の少なかった

明治という時代、山国の飛騨では信州へ糸ひきに出るのがその頃の

ならわしで、それをだれもふしぎにも不足にも思うものはなかった。

それが明治の中頃になると大規模”糸ひき稼ぎ”に変わり、そして

野麦峠を越えて大晦日に持ち帰る糸ひきの金が、飛騨ではなくては

ならない大事な財源になっていたという。

 野麦峠はだてには越さぬ、
  ひとつぁ身のため国のため

 男軍人 女は工女
  糸をひくのも国のため

この可憐な女たちが泣きながらひいた生糸の金が実は明治の文明開化を

支えた大事な財源であったことを知るものは少ない。

 工場づとめは監獄づとめ
  金のくさりがないばかり

と工女たちはうたった。

 二月も半ばを過ぎると信州のキクヤへ行く娘たちが高山の町に集まって

くる。そして三日目にはいよいよ野麦峠にかかる。山沿いの道は降り

つもった雪の上に細々と続いていた。よく野麦峠の雪は赤く染まったと

いうが、パンツもなかった明治のこと、腰巻きのすそは雪に凍ってまるで

ガラスの破片のようになり、女のモモは切れて血が流れて雪を染め、

足は凍傷にふくれて宿についてもすぐ火にあたるもできなかった。

しかし、娘たちは「雪が降ると思わず野麦峠にはゼニが降ると

思っていけ」(堂前ゆう「河合村」)と親からいい聞かされていたという。

「乗鞍の美しさ? それは覚えていません、そんなことよりワシらは

これで飛騨とも一年お別れだ、トッ様カカ様達者でな、そう言って

飛騨と信州の境石にしがみついてみんなおいおい泣いていたので

ございます。」(政井たお「古川町」)

行く手には目指す信州の山々が遠く連なり、そこに何が待っているのか、

彼女たちはよく知っていた。「それでも行かずばならない、そういうもん

じゃと思って歯をくいしばってみんなの後についていったのでございます」

(鉞さと「河合村」)

野麦峠のお地蔵様はこの明治女の歎きをいつまでも語りかけてゆくに

違いない。山本茂実著 「野麦峠」より

2012年6月 4日 (月)

いなづまの話

最近やっと落ち着いてきた天気。いつもより気温が低い気がするが

平年と大して変わらないそうだ。半月前にはしょっちゅう雷鳴が

轟き、毎日のように雷がどのくらい離れたところに落ちたのか

時間を計っていた。中学で習うので、ピカッ!と光ったらいつでも

1,2,3,4,、、、と秒数を数えることをおすすめ。音の速さは

3秒で1kmだから、6秒後にゴロゴロ鳴ったら約2km先に落ちたことに

なりますよ。地図を開くとどの辺に落ちたのか地震の速報さながら

にわか科学者になれる。さて、雷はドッカーン!という音のこと。

ピカッ!という光は稲光または「稲妻」というのです。

稲妻が良く光る年には稲や農作物が良く育つのだそうです。

だから、稲の夫(昔はこれでツマと言った)、いつの間にか「妻」

先日、その現象の証拠のような文章を読んだのですが、本当で

しょうか?実は、肥料には窒素が必要です。それを爆弾と同じ

硝酸にして捲くのです。空気中の6割以上が窒素ですから、

いくらでも降ってくるかと思うとN2の状態は気体ですから土に混ざる

ためにはもうすこし重くならないと。それが出来るのは根粒バクテリア

(このページは素晴らしい!)か、稲妻くらいだそうです。稲光が

雲の中で高温、高圧を生み出すと、窒素が純粋な分子を引きちぎられ

別な物質になって降ってくるかも知れないのです。田畑に窒素を

もたらすならば、本当の稲妻ですね。

もう一つ、「窒素(ちっそ)」ってなんでこの名前なのか知ってますか?

実はドイツでこれを吸わせると動物が呼吸困難ですぐ死ぬ。窒息する

からニトロジェン(窒息する素)で正確に訳して「窒素」なんですって!

ちょっと賢くなりましたね。  さて、三軸修正法の年二回の集中講習会

が7月に迫りました。今回はいつにも増して濃い内容にしようと努力中。

皆さんお待ちしています。

Tetokichi

家の柱を縦横無尽に駆け上りもうボロボロな柱と梁。さて、この「テト吉」ですが

うちの周りの子供と猫好きの患者さんに大人気です。誰のところにもすり寄っていく

穏やかな猫君です。なにか、目をむいておびえているようですね。雷かな?

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